何のために戦うのか

こんにちは。


IOROIです。


今回は横山総師範による文章をそのまま掲載します。


******************

何のために戦うのか



私は長年、護身術、特に対凶器と呼ばれる武器を持った暴漢に対応する技術を研究してきた。


隠れた暴漢が急に襲ってきたリ、複数の暴漢に囲まれて襲われたり、そして彼らが武器を持っていたらというような場面を想定して練習するがウチの特色だ。


だから私の道場には、暴漢役が体を隠せるようなパネルや、壁とドアなどのセットがある。


ときおり、道場の電気を暗くしてこうしたセットを使って練習する。


もちろん、現代の日本社会において、こうした実戦的な護身術や、危機を事前に回避するリスクコントロールが必要な場面はほとんどない。



非常に治安のよい社会であり、この種の暴力犯罪の件数も非常に減っている。




1[1]
※写真1

2[1]
※写真2

3[1]
※写真3



私が教えている実戦護身術功朗法の技術や知識は、今から30年以上前、ヨーロッパに長期滞在していた頃、湾岸戦争で治安も乱れ、テロが頻発し、実戦的な護身術を要求された時代に創設したものだ。



当時は警察隊、国家憲兵隊や治安関係者がたくさん練習に参加していた。



今も私が指導にヨーロッパに行くと、こうした所からお声がかかる。



いま私は当時のヨーロッパで乗り越えた困難な状況を回避する技術よりも、さらに困難な状況を乗り越えることを要求されている。


それは、現実的な生死に関わる状況での問題解決ではなく、武術的な空間における生死というべきか。



すなわちガチ甲冑合戦における、対複数戦や短刀組討ちだ。


槍などの長柄武器をもって多人数が互いに戦い、そして互いが接近し合った刹那、敵が組討って短刀で攻撃を仕掛けてくる。


こちらは防衛能力の極限と向かい合うことになる。



なぜ、今の時代にこんなことを?そう思われるかもしれない。


一言でいえば現代社会から消え去ろうとする日本武術の実戦技術を、戦国時代にルーツを求めて残したいという思いからだ。



たとえば、日本各地で行われている合戦祭り。


武将隊や甲冑隊などの寸劇や甲冑コスプレやパレードに終始し、武術的な色合いや合戦再現とは程遠い。


今や日本語のマンガやコスプレ、ヘンタイ、ニンジャ、サムライなどという言葉が世界的に普及しそのファンが増えている。


しかし反面、海外の真面目な日本の伝統文化や武術愛好家や研究者たちは、武将隊や甲冑隊などの寸劇や甲冑コスプレを観て違う意味で楽しみニヤリとしても、本質的には満足していない。


11月に愛知県観光課主催で行われたワールドサムライサミットに「ガチ甲冑合戦・長久手の戦い」で参加させていただいた。


海外向け英語解説では侍バトルという表現がなされていたが、武術や武道の歴史がある土地柄にもかかわらず、武術や 武道の団体の演武は皆無に等しかった。


コンテンツの大半は武将隊、甲冑隊のパフォーマンス。唯一マジで侍バトルの合戦をやったのはウチだけということになる。



そのウチも、「合戦劇」という表現が県観光課などの公式HPでなされていて、「劇」ではないので、表現の変更を申し入れて2か月以上かかって、やっと変更がなされた状態だ。


武術家や格闘家によるガチ甲冑合戦も甲冑コスプレの劇とみなされてしまう時代だ。



どうして、一般からこんな風な誤解を受けるのか。それは現代の日本武術の多くは型の伝承と型の表演であったりするからだ。



したがって、ガチな合戦、甲冑試合といっても、取り決めのある演武すなわち「寸劇」とみなされるようだ。


ところで、私は古流武術などの型を否定しているわけではない。


型をいくら伝授されても、その使い方を自分なりに実戦的な自由攻防のなかでカストマイズしていなければ、何の役にも立たないと考えているだけだ。



先日、テレビ番組の取材で古流武術4段で体格体重ともに優れた英国人レポターが、ガチ甲冑合戦に参加することになった。参加に当たっては、簡単な審査を行うことにしている。



1:前面、左右の側面、どの方向から短刀の突発攻撃があっても素手でかわせるか。敵との距離は1、5m程度。



2:刀同士である程度の攻防ができるか。



3:3m程度の長さの槍で攻防ができるか。



結局、古流武術4段の英国人レポーターは、ほとんど出来ずに不合格だった。


決して彼の流派や技が悪いのではない。彼個人が努力していないわけではない。練習方法に問題があるだけだと思う。実用性を持たせるための練習をしたのか、ということだ。


B1[1]
※写真B1

B2[1]
※写真B2



1:技の型を覚える。



2:二人で組んで、出来るように練習する。



3:使えるように自由攻防する。



その結果をフィードバックして自分なりにカスタマイズする。



この3番目の部分が、行われていないだけだと思う。しかし、3番目の部分は、非常に手間取り煩わしい。怪我のリスクもある。




ところで、プロ格闘家の菊野克紀選手に、7月の東京お台場・夢大陸コラボ「巌流島×ガチ甲冑合戦」、11月愛知県での「ガチ甲冑合戦、長久手の戦い」などに参戦頂いている。


k0[1]
※写真K0



7月のガチ甲冑合戦では、2戦とも討ち死にだったのだが、11月は2戦とも勝利している。


菊野選手は7月の合戦前にも練習会に参加いただいたのだが、相手の正中線に横一文字という構えでぴたりと照準をつける練習に苦労していたようだ。


敵の正中を抑えることができれば、基本的に有利な条件で戦える。


その後、何度かの練習会に参加いただいて、11月、愛知県観光課主催のワールドサムライサミットでのガチ甲冑合戦の当日となった。



7月に対戦した吉村君とリベンジをかけて菊野選手は対戦した。


この日の合戦エリアの条件は最悪だった。ステージでの武将隊やら何やらの演目が遅れ、運営会社の不手際も手伝って、私たちのガチ甲冑合戦は、約30分も遅れてスタートした。


したがって、終盤近くには日没となった。しかも、音響の準備が十分になされておらず、足元から危険物を撤去する支持が出せないままだった。合戦エリア内には楯や武具が散乱していた。



菊野選手たちが一騎討ちを行う頃には、太陽が沈みかけライトが投入され、薄暗い闇の中で戦うことになった。


悪い足場、薄暗がりの中で、横一文字構えで敵の正中に照準を着けることは結構難しい。



しかし、これが本当の合戦場なら大いにありうる状況だ。



私は、正直いって菊野選手が槍で勝つとは思っていなかった。


しかし、菊野選手は奇麗に横一文字で構え、敵の正中線に食いついて動き、下の目付で足元を確認したようだ。これらの基本的重要事項を自分なりに完全に消化していたようだ。



吉村君(黒・青)は菊野選手(赤)の穂先をそらそうと、牽制を何度もかけた。


だが、菊野選手は槍と体を一体化させて、吉村君の正中線上に立っている。


何度かの攻防の後、菊野選手の槍の穂先が吉村君の正中線上を真っすぐに鋭く動き、その喉元を捉えた。吉村君の槍も菊野選手の側頭をギリギリ捉えたが届いていない。


菊野選手の一撃は敵の体が崩れるような強撃ではなかった。


しかし、槍が当たった場所が喉であるので、十分なダメージと判断し、審判の私は菊野選手の1本勝をとった。見事なリベンジだった。


そして、この日、ガチ甲冑合戦に大いにわいた観客に応えて、アンコールの一戦を行うことになった。吉村君は先ほどの負けが悔しかったとみえて、菊野選手に再戦を挑んだ。


勝負は、先ほ どと同じような流れで、菊野選手の勝ちとなった。


K1[1]
※写真k1


K2[1]
※写真k2


K3[1]
※写真k3

K4[1]
※写真k4



私は菊野選手の勝利やリベンジ成功より、一つの術理を完全に自分なりに消化し、実戦で活用できる才能と努力に大きな拍手を贈った。




公式HPはこちら
http://armoredsamuraibattle.web.fc2.com/index.html

*****スポンサーリンク*****











にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村